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#6「薮の中」芥川龍之介 2018/12

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黒澤明の映画「羅生門」は何度もテレビで観たことがあったが、あの作品はじつは小説「羅生門」を映画化したものではなく、この「藪の中」を映画化したものだということを、この小説を読むと分かる。

 

さらに映画では、小説「藪の中」に小説「羅生門」の風景をうまくミックスさせている黒澤明のアイディアが確認できる。

そして、映画のタイトルも「藪の中」よりも「羅生門」の方がやっぱり良かったとも思うのだ。

創作物というのは、そういった小さいようだが細かな部分が意外に大切なものだ。

 

さて、この小説「藪の中」で描かれているのは、殺人強姦という犯罪現場を巡る複数の証言者の証言の食い違いだ。

 

おそらく結婚が約束されたと思われる若い男女が、旅の途中、多襄丸(たじょうまる)という盗っ人に襲われる事件が起こる。

男は胸に傷を負って死亡。女は多襄丸に手篭めにされ、その場から消える。

 

その後、橋の上で捕まった多襄丸の証言、寺で見つかった女の証言、そしてなんと巫女(イタコ)を使った殺された男の証言まで、三人がまったく違った証言をしゃべり始める。

 

ここで私が面白いと思ったのは、普通、犯罪現場にいた人間の証言というのは、罪を逃れるために、「俺はやっていない」「私はやってません」という証言をするものだが、逆に、この話の三人は、殺したのは自分だと言い張っている点だ。

死んだ男も、普通は死人に口無しのはずが、イタコによると、誰かに殺されたのではなく自害したと証言する。

 

ここに人間の「恥」というものに対する微妙な心理がうかがえる。

 

この小説での三人は、驚くことに、罪を逃れる事よりも犯罪人となって、恥の無い自分の体面を保つことを優先、潔し(いさぎよし)としている。

いや誰か一人が真実を語っているとすれば、二人か。

 

人というのは、罪を認め(又は、かぶり)有罪となってでも、自分の恥は死ぬまで認めたくないものなのか。

 

はたして現代の日本人でもそうなのか。

侍の心があった、この小説の時代の日本人ならではのものなのか。

 

果たしてどうだろう。

死刑になって自分の体面を保つ、か、恥を忍んで生きる道を選ぶか。